村上浩康監督インタビュー

出会いは運命

――なぜ多摩川の干潟を舞台にドキュメンタリー映画を作ろうと思ったのでしょうか。

それはほんの軽い思いつきからでした。2015年に岩手県盛岡市で私の映画(注1)の上映があって、その時滞在していたホテルでたまたまテレビで自然ドキュメンタリー番組を見たんです。それは北海道の干潟(注2)を取材したものでした。

この時、「あれ?干潟って何か面白いぞ」と思い、東京にも干潟はあるのかなと、すぐにスマホで調べてみました。すると多摩川の河口に貴重な干潟(注3)が残されているとわかり、多摩川なら家からそう遠くもないし、じゃあ行ってみようと思い、東京に帰るとすぐに向かってみました。

――実際の干潟の印象はいかがでしたか。

その時は川崎側の河口ギリギリのところまで歩いて行ったのですが、川を挟んですぐ向こうに羽田空港があり、上空をジェット機がバンバン飛び交っている。

一方こちら側には京浜工業地帯が広がり、工場の煙突から煙や炎が立ち昇っていて、まさに都市の涯てというか、文明社会と自然の境界に立っているような印象を持ちました。

そこに干潮の時刻になると干潟がひっそりと現れて、そして満潮になるとまた消えていく。人知れず現れては消える、この空間は一体何だろうと、とても不思議な気持ちになりました。

その時は真冬だったので、人影もなく、カニなどの生き物もあまり見られなかったのですが、直感的に「ここで映画が出来る」と思いました。この場所に通い続ければ、きっと何かに出会えると根拠もなく信じられたんです。そこから干潟通いが始まりました。

――そしてそれぞれの映画に登場する二人のおじいさんに出会うわけですね。とても面白い人たちですが、どうやって知り合ったのですか。

干潟にカメラを持っていき、まず撮影したのはカニでした。先述の通り、冬だったので、見られるのはヤマトオサガニ(注4)というものが主で、彼らは潮が引くと巣穴から現れてハサミで泥をすくって口に運んでいました。見た目には泥を食べているんです。実は泥に含まれる珪藻(けいそう)(注5)などの有機物を口内で濾(こ)して食べているんですが、その姿がとても不思議でした。何で泥なんか食べるんだろうと、それが面白くてまずは彼らを被写体にしました。

そして来る日も来る日もカニを撮り続けていると、ある時、干潟に来た一人のおじいさんから声をかけられたんです。

「何をしているんですか?」と聞かれて、カニを撮影していると答えたら、おじいさんは「ここはカニを観察するにはいい場所なんですよ」と言う。不思議に思って、お詳しいですねと返すと、「私はここで10年以上カニを見ているんですよ」とおっしゃいました。

ビックリして、何かの研究ですかと訊ねると、「いえいえ、趣味で観察しているだけです」と言うから、更に驚きました。研究者でもないのに、カニの観察を10年以上も続けているとは…。

聞けばおじいさんは吉田唯義さんといって、定年退職後に干潟に通い続け、カニの調査と記録を行っているとのことでした。

そんな方がまさかこの干潟にいるとは思わなかったし、さらにあちらから声をかけていただけるとは夢にも思わなかったので、内心すごく興奮しました。

その場ですぐに取材の申し込みをし、後日吉田さんの家を訪ねて貴重な資料や標本を見せていただきました。そして春先になるのを待って、干潟での観察に同行させていいただくことになりました。これが「蟹の惑星」製作のきっかけです。

――もう1本の「東京干潟」のおじいさんとはどのような経緯で知り合ったのですか。

こちらも本当に不思議なんですが、あちらから声をかけていただきました。
干潟に入るにはまず土手に降りて、そこから茂みを抜けていくんですが、その茂みの中に数軒の小屋があってホームレスの人たちが住んでいます。

忘れもしませんが、先述の吉田さんに声をかえられた翌日のことです。いつものように干潟に降りようとしたら、一軒の小屋からおじいさんが出てきてこう言うんです。

「あんた、環境省の人?」

一瞬何が何だかわかりませんでした。まずホームレスの人に突然声をかけられたことに驚き、強面(こわおもて)の風貌に圧倒され(おじいさんなのに腕の筋肉がもの凄い!)、そしてそんな方の口からいきなり環境省というワードが出てきたのにも面喰いました。

聞けばおじいさんは、干潟でシジミを獲って生活をしていて、最近他の人たちの乱獲がひどくてシジミが激減しているので、どうにかしてほしいとのことでした。干潟にカメラを向けている私を環境調査にきた役人とカン違いしたようです。

潮干狩りをしている人たちをあちこちで見かけてはいましたが、あれはシジミを獲っているのかとその時わかりました。そして言われれば、春に近づくに従ってその人数も増えているような気もしました。

こちらの事情を話したうえで、改めておじいさんの話を聞くと、シジミの生育環境に関する知識が豊富で、人柄も気さくで優しい方だと分かってきました。そして家の周りにたくさんの猫がいて、おじいさんが一人で世話をしていることも知りました。

この人を撮りたい!そう思いました。この人の生活を追いながら、自然と人間の結びつきを捉えてみたい、そして何よりこの人のことを知りたいと思いました。

そこで多摩川のシジミ乱獲問題とペット遺棄について取材するという名目でおじいさんに撮影を申し込み、交流が始まりました。

――つまり、村上監督のほうからではなく、お二人とも向こうからきっかけを作ってきたということですね。

そうなんです。しかも2日連続でそんなことが起こった。大げさに言えば奇跡ですね。自分はこの二人に選ばれたんだ、この映画を撮ることは運命なんだと、すっかり信じ込んでしまいました。その夜は興奮して寝付けませんでした。

撮影現場は二刀流

――実際の撮影はどのように行っていたのでしょうか。

干潟というのは潮が引いて現れるものなので、干潮の時刻に合わせて行くのが基本です。そしてここからシジミ獲りとカニの二刀流の撮影が始まります。

シジミ獲りのおじいさんの漁は干潮時刻の1~2時間前から始まります。水が少しずつ引いて行き、しゃがめるくらいの水深になるのを待って川に入ります。

何故かと言うと、水が完全に引いてしまうと泥の水分が少なくなって掘りにくくなるからです。おじいさんは道具を使わず素手でシジミを掘っているので、このタイミングが最適なんです。素手で獲るのは、成長途中の小さな貝をはじいて、大きなものだけを獲るためです。稚貝を残し、長く漁が続けられるように共存を心がけているんです。

撮影はまずおじいさんが干潟に入るところから始めます。おじいさんの漁は干潮から満潮までの間、だいたい4、5時間くらい続きます。ですが私は漁の様子をひとしきり撮ったところで一旦離れます。あまり長く撮影していると、おじいさんの漁の邪魔になるからです。

その頃には潮がすっかり引いて干潟が現れます。そうなると今度はカニの撮影に入ります。潮が引くと干潟に空いた無数の巣穴からカニたちが一斉に出てきます。また川辺の林や葦原(あしはら)(注6)からも餌を求めてカニたちが出てきます。

――映画に出てくるカニたちの姿がとてもユニークでバラエティ豊かなのにびっくりしました。

多摩川河口の干潟には10種類くらいのカニが生息しているのですが、どれも非常に個性的なフォルムをしていて、よく見ると色彩も美しい。私は彼らを出来るだけ接写して細部を撮りたかった。だから、カメラのレンズにプロクサーという虫眼鏡のようなクローズアップフィルターを付けて、出来るだけ近寄って撮影しました。

しかし、これが思いのほか大変でした。カニは非常に警戒心の強い生き物で、5メートルくらい先に動くものがあると、すぐに巣穴に逃げ込んで、そのまま5分くらいは出てきません。カメラを持って近寄っても、隠れてしまい撮影出来ません。

そこでカニが逃げ込んだ巣穴の前にカメラを出来るだけ低く構えて、小さな折り畳みイスに座ってジッと出てくるのを待ち構えます。数分するとカニが巣穴から眼だけ出して辺りを伺います。ここで少しでも動くとカニに気づかれるので、息をひそめて我慢します。やがてゆっくりゆっくりとカニが姿を現します。

ここでカメラを回すわけですが、急にスイッチに触れてもまた逃げてしまうので、慎重にカニに悟られないように手を動かしてシュートします。しかしカニは必ずしもカメラのレンズ前に来てはくれません。勝手に好きな方向へ動いていきます。こちらはそれをフォローしないと撮れないのですが、ここで動きを察せられると、またカニは隠れてしまいます。

だから、ゆっくりゆっくり、まるで大道芸人のパントマイムのように、動いているのか動いていないのかわからないようにカメラをカニの方へ振っていきます。

そうやって撮っているうちに、体は非常に無理な姿勢になっていきます。イスから尻を浮かせ、体をねじったりして、長い時は30分とか40分、カニを追い続けます。だから腰に負担がかかって、映画の撮影に入ってすぐに酷い腰痛を引き起こし、それは今でも持病となって残っています。時々歩くもの辛いくらいの腰痛持ちになってしまいました。

このようにカニの撮影はとにかく根気と忍耐、これに尽きました。でも、その甲斐あって肉眼では決して捉えられないカニたちの躍動する姿と生命の輝きを撮影できたと思います。

――カニを研究している吉田さんの撮影についてはいかがですか。

こうしてカニを撮っていると、いつの間にか吉田さんが自転車で干潟へやってきます。多い時はだいたい週に4日くらい来てカニを観察しています。吉田さんが来ると、一旦カニの撮影をやめて、一緒に干潟を隈なく歩きながら観察の様子を撮らせてもらいます。

吉田さんのお話はフィールドワークをしながら、その場その場で撮るのを原則にしました。カニたちの営みを見つめながら、カニと吉田さんを一緒に撮りたかったんです。

吉田さんの視点はとても独創的で、ご自身の研究に対してハッキリとしたポリシーをお持ちでした。吉田さんは無論カニに関する本や文献もお読みになって知識は豊富ですが、しかしそれを鵜呑みにはしていません。

まず自分の目でつぶさにカニを見つめ、そこからある疑問が生じると、それを実際に確かめようとします。そしてその検証方法を独自に考えて実行します。その方法が実にオリジナリティに溢れ、ユニークで面白い。好奇心あふれる視点と自由な発想で、自然との向き合い方の原点を見るようでした。

映画の中でもいくつか紹介していますので、ぜひこの吉田さんの視点に注目していただければと思います。

――吉田さんの撮影が終わると、またシジミ獲りのおじいさんに戻るわけですか。

干潟が満潮に近づく頃、カニたちは巣穴に隠れ、吉田さんも帰っていきます。そこから干潟が完全に隠れるまで、シジミ獲りのおじいさんの漁を再び撮らせてもらいます。

漁が終わると、おじいさんは小屋に戻り、今度は獲ったシジミをふるいにかけ、網の目から落ちた小さなシジミを川へ戻します。念には念を入れて、稚貝を獲らないように用心しているんです。

こうして獲ったシジミをネット網にまとめ、自転車に積んで売りに出かけます。近くに買い取ってくれる業者があるんです。ここで得たわずかなお金で、まずは猫たちのエサを買い、それから自分の食べ物、また川に入って冷え切った体を暖めるためにお酒も買います。

おじいさんは若い頃はお酒もたばこもやらなかったそうですが、干潟でシジミを獲りながら暮らすようになって、お酒を飲まないとかえって体に悪いと、たしなむようになったそうです。飲むものは決まっていて、近くのコンビニで安く売っている缶酎ハイです。

おじいさんが買い物から帰ってくると、まず猫たちにエサを与え、その後ゆっくりと缶酎ハイを口にします。その時、一緒に今日の漁の話や世間話をしながら、少しずつインタビューを撮影していきました。

――インタビューはどれくらい行ったのですか。

じっくり時間をかけて、お互いに人間関係を築きながら、少しずつ進めていきました。最初のうちはあくまでも多摩川のシジミの生態環境や乱獲問題などについて、また猫たちの遺棄の実情についてお話を伺っていきました。

これらはおじいさんの直面している外的な問題です。そのうちにだんだん打ち解けていくと、たまにおじいさんの人生について、断片的に話される時がある。その話がとても興味深く、いろいろと考えさせられるものでした。

そして詳しく聞いていくうちに、おじいさんの波乱に富んだ人生が段々と分かってきて、さらに昭和から平成にかけての時代の流れにリンクしてしることに驚きました。そのうえ干潟の周りの環境も象徴的に結びついており、おじいさん個人の人生から、さらに広がりを持った普遍的な物語が浮かび上がってきました。おじいさんの人生と今の東京の姿がすべて繋がっているように思えてきたのです。

とにかく、おじいさんの生まれたところが有明海(注7)の沿岸で、子供の頃から干潟で生き物を獲っていたということを聞いた時点で、円環する世界が見えてきて、大きな視点で映画が描けると確信しました。

干潟から見えた世界

――4年間にわたる撮影の中で、今感じているのはどんなことですか。

多摩川の河口干潟という、いわば東京の最下流を見つめることで、今の日本が抱える様々な課題が見えてきました。環境についてはもちろん、高齢化社会の生き方や格差・貧困の問題、ペット遺棄、戦争や震災の残した影響など、誰も顧みない小さな世界から現代社会の実相や歴史の流れが浮かび上がってきました。

それと共に2020年の東京オリンピック・パラリンピックを目前に控え、変わりゆく東京の姿も映し出されています。干潟から東京を見つめることは、日本の現在を見つめることでした。そこにこの作品を撮った意味があると感じています。

――最後に映画をご覧になる皆様へ一言お願いします。

「東京干潟」と「蟹の惑星」は元々1本の映画として考えていました。干潟を舞台にしたオムニバス風の作品を作るつもりでした。しかし双方の取材が進むにつれ、それぞれの扱うテーマがあまりにも膨らみ、そして対照的な魅力を伴って立ち上がってきました。
なので、それぞれ独立した作品としてまとめ上げました。

だからこそ両方を見ていただけたらと思います。東京ドーム2個分の面積という、自然界ではあまりにも小さな干潟を舞台に、全く違う視点から現代を見つめた連作として見て頂ければこれほど嬉しいことはありません。

この映画の製作を通じ、人間と自然、そして時間も含めた多様な視点で世の中を見つめることができ、改めて世界の豊かさと奥深さを知りました。この体験を映画をご覧になる方に少しでもお届けできれば幸いです。


  • (注1)「無名碑 MONUMENT」岩手県盛岡市の高松の池を舞台にしたオムニバスドキュメンタリ―。花見の季節に池に集まってきた人々の証言から、戦争や環境問題などを描きつつ、時空を超えた見えない繋がりを明らかにしていく。
    公式サイト http://mumeihi.com/
  • (注2)干潟とは海岸部にある低湿地。潮の満ち引きにより、約6時間周期で現れたり消えたりする。陸と水辺の境界のため様々な生物の生息地となっている。
  • (注3)正式名は多摩川河口干潟。埋め立てが進んだ東京湾にわずかに残る貴重な干潟で、カニや貝、ゴカイ、トビハゼなど様々な生物が生息する。また渡り鳥の飛来地でもある。
  • (注4)干潟の泥の中で暮らす甲羅幅4㎝ほどのカニ。甲羅に収納できる長い眼を持ち、水面から潜望鏡のように出して周りを伺う姿がユーモラス。
  • (注5)単細胞の藻類で、世界中の海や川などに生息している。珪藻(けいそう)の殻の化石である珪藻土(けいそうど)は吸水性がよく、バスマットなどにも利用されている。
  • (注6)イネ科の植物である葦(あし)が集まって生えている場所。海水と淡水が混ざり合う河口などの水辺に群生する。水質を浄化する働きをもつ。
  • (注7)九州北西部にひろがる湾。福岡、佐賀、長崎、熊本の4県にまたがり、干潮になると日本最大の干潟が現れる。ムツゴロウなど様々な生き物が数多く生息する。

村上 浩康 監督

1966年9月11日宮城県仙台市生まれ。
1990年より映像制作会社勤務。
2000年フリーランスのディレクターとして独立。
2001年より神奈川県愛川町を流れる中津川を舞台にしたドキュメンタリー映画「流 ながれ」の撮影を開始。10年間に渡る撮影の後、完成。
2012年「流 ながれ」公開。文部科学大臣賞。文部科学省特選。映像技術賞。キネマ旬報文化映画第4位など。
2015年より多摩川河口干潟に取材し、「東京干潟」「蟹の惑星」の製作を始める。

代表作
「流 ながれ」(2012年)
公式サイト http://www.nagale.info/

「小さな学校」(2012年)
「無名碑 MONUMENT」(2016年)
公式サイト http://mumeihi.com/

村上監督