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映画に寄せられたコメント

東京干潟

東京と名のつく映画がまた1つ生まれた。東京はよそ者たちの集まり。日本の玄関口、羽田空港のほとりに辿(たど)りついた老人。自然の中で生きる姿は慎ましく逞(たくま)しい。経済優先の世の中で忘れてしまった誠を教えてくれる映画。刻々と変わっていく東京の中で、変わらない老人がいる。監督が4年に渡って見つめた一人の老人の暮らしと思い。丁寧に掬(すく)いとった東京の変容と老人の姿をぜひ見てほしい。

柳下美恵
ピアニスト

なるほど。こういう生き方もいいなあ、と納得がゆくところまで、ていねいに見せていただいて、良かったです。

佐藤忠男
映画評論家・日本映画大学名誉学長

ひとりのおじいさんが多摩川へ歩きだす。干潟に膝をつきしゃがみ込む。素手を泥へと潜らせ、かき出す。祈るような両手の指の合間にしじみを探す。しじみは日銭になり、めしにかわり、レモンサワーとなり、身を寄せ合う猫たちのエサになる。かつて古老がいた。思い上がりや思慮の浅はかさを戒め、たしなめた。智慧を授け畏れることを教えた。みずからの足元を掘り崩してはならないと。コンクリートビルが立ち、ジェット機が飛び交い、トラックが無数に走る都会の海に、85歳のおじいさんが川と泥へ、きょうもひとりその身を浸す。
コンクリートが川を埋め、しじみが取れない。買い叩かれる。台風がくる。水が小屋までひた迫り満潮と重なった。どうする、どうすればいい。
住処を「土砂」とされ、重機で根こそぎ掘り返される泥から貝の声が聞こえてくる。朝の陽に波立つ川へ、おじいさんは身を浸す。河川敷の小屋で人間に捨てられた猫たちが、きょうもおじいさんの帰りを待っている。「みんなおんなじように生きる権利あるんだよ」。おじいさんの声よ、届け。ひとの心、動かせ。つめたい水に身を浸した、ぬくもりの言葉、この世界に届け。どこまでも届け。

宍戸大裕
映像作家「道草」

風のそよぎと柔らかな光と温かそうな寝床。何も持たなくても、愛する猫たちと身を寄せ合って「今が一番幸せ」と語るおじいさんの笑顔を見て、僕は確信する。「人が最終的に必要とするものはこの映画に全て映っている」と。
映画のラスト、カメラとともにおじいさんの日常にお邪魔し続けた私たちは衝撃の結末を目撃することになる。それでも、もしかしたらおじいさんは、人間の愚かさも自然の驚異も全て受け入れて再び、明日を生きていくのではないか。そんな人間の強さと人生の深さ・儚さを教えてくれる映画だった。

我妻和樹
映画作家「願いと揺らぎ」

羽田空港のある多摩川河口でヤマトシジミを生活の生業にする85歳の猫大好きオジサンが魅力的だ。橋の架け替え工事が、浄化能力と生物多様性を破壊していく。泥より金まみれへの批判精神が鋭い。

四方繁利
映像文化批評家

自然は時に猛威をふるい、人間の営みなんぞどこ吹く風だが、確実に人間の営みも自然に対して影響を与えている。世の中における“目に見える部分”と“目に見えない部分”、或いは、“覆い隠された部分”と“露わになる部分”とを干潟は暗喩しているかのようだ。

松崎健夫
映画評論家

ホームレスとシジミと猫15匹。シジミの乱獲、干潟の縮小、人身事故や洪水、橋の建設など、ホームレスの暮らしをこえ、都市・東京の“シジミ採り”の物語になっている。映像が美しい。

佐野章二
㈲ビッグイシュー日本共同代表

干潟に鳴り響く重機と飛行機の音。河川敷のバラックで密やかに暮らす老漁師と猫たちの眼差し。相反する2つの感覚が混交したとき スクリーンに現れるのは、東京オリンピックに向かう「時代」が隠した日本のいまである。

山田徹
映像作家「新地町の漁師たち」

蟹の惑星

泥・草地・アシ原に生息する蟹のキャラが総出演。
エラ呼吸の蟹が干潮時でも横走りできる秘密、脱皮しながら成長する姿の神秘さ、月の満ち欠けが交尾を促す自然界に、夕日が沈む美しさにワクワク。

四方繁利
映像文化批評家

人類未踏の星へと降り立った時の感動とはこういうものなのだろうか。自分の世界に対する知覚が更新される喜び。これまで全く想像することもできなかった世界がこんなにも鮮やかに目の前に具体的に現れたとき、それを描こうと挑み続けた途方もない忍耐とあくなき探求心を想って 僕は感動に身震いする。蟹の惑星に連れて行ってくれてありがとう。

我妻和樹
映画作家「願いと揺らぎ」

蟹の生態は弱肉強食の世界。己の命を絶やさぬための利己的にも見える立ち振る舞いは、人間の欲望や煩悩のあり方にも似ている。
自然環境と人的開発との対比が望遠によってひとつのフレームに収まる映像は、儚くも美しい。

松崎健夫
映画評論家

とある惑星に漂着するとそこは蟹たちのダンスホールだった!干潟に生息する蟹の生態を観察し続ける吉田さんとその成果をたった一人キャメラで肉薄した村上監督に拍手。今夜は「蟹の惑星」で踊り続けよう。

山田徹
映像作家「新地町の漁師たち」

特別寄稿

『東京干潟』への特別寄稿

多摩川の暮らしを見つめて

「東京干潟」は、河川敷に暮らす篤き志をもった一人のおじいさんの生きざまが、村上浩康氏の鋭い切り口と熱情的な行動力によって記録された感動を呼ぶ秀作である。

河川敷という場所は思いのほか過酷で危険な所でもある。日影が少なく、夏は市街地よりずっと暑く、冬は冷たい北風の影響でその体感温度は約4℃下がる。加えて、台風やゲリラ豪雨などによる河川の氾濫によって命を落とした人も少なくない。

さらに、あるまじき事だが、差別や偏見の対象とされ、心無い人からの嫌がらせや襲撃を受けることさえある。

そんな場所に根をおろし、干潟という漁場での重労働に耐えるおじいさんには凛としたものがある。

そして一環した生きていくための強い信念は、同時に河原に捨てられた名も無き猫への慈悲深い愛情として注がれる。
自らの苦労があればこそ、飼い主から見放された餓死寸前の猫の辛さがよりよく理解できるのではないだろうか。おじいさんは我が身を削ってまでも、猫がその生涯を全うするまで守ろうとしている。

余計な装飾もなく、「あるがまま」のこの作品は現代の競争社会に欠けているものが何なのかも考えさせてくれる。

小西 修
広告写真を手がけるフリーカメラマン。
1989年より多摩川河川敷に遺棄された犬猫の保護・救済活動を30年間に渡って夫婦で続ける。
また、そこに暮らすホームレスの方への支援も続けている。